近江長浜 長尾山妙法寺/豊臣秀勝公のお寺・現代仏教のお寺

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豊臣秀勝公のお寺/縁起
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発祥
拙寺は、豊臣(羽柴)秀吉公の長男秀勝公の菩提寺で、長尾山妙法寺と申します。
元は浅井氏・小谷城下の長尾寺という天台寺院でしたが、天文年間に日蓮宗に改宗しました。天正元年(1573)、湖北の領主となった羽柴秀吉公の長浜築城に伴い、当寺も長浜城下に移りました。

豊臣(羽柴)秀勝公
その頃、秀吉公に男子が誕生。秀吉公はこれを祝って長浜城下の町民に砂金をふるまい、これを元に長浜曳山祭りが始まったといわれています。


南殿と石松丸
豊臣秀吉公が戦乱で荒れた竹生島宝厳寺の復興をした時の「竹生島奉加帳」に、南殿と石松丸の名前があり、これが秀勝公の母堂と幼名ではないかと推測されています。
無事に成長されていれば、秀吉公の跡を継がれその後の日本の歴史も変わったかも知れないお方ですが、秀勝公は残念ながら天正四年(一五七六)十月十四日夭逝、当寺に葬られました。戒名を本光院朝覚居士といいます。端正な童子の絵像が伝わっていましたが、昭和27年の火災で焼失しました。

長浜市指定文化財
旧境内地の東奥に「廟(鞘堂つきの墓)」がありましたが、飛び地のため平成14年10月14日、現境内地の本堂前にお移しし「秀勝公出世法要」を営みました。
平成15年長浜市制60周年記念事業として学術調査がおこなわれ、旧墳墓地から、安土桃山期の大名一族のものと見られる「塚墓」(石囲いの埋葬施設・箱棺墓)が発見されました。
また墓石も彩色をほどこされた貴重な「題目式笠塔婆」であることがわかり、長浜城時代に秀吉公の長男に相当する人物がいたことが確認されました。
「塚墓」「笠塔婆」は平成16年長浜市文化財に指定されました。


豊公朱印状
天正14年豊公より、小足村(現新栄町)に三十石余の寺領を拝領。
寛政九年(一七九七)完成した入母屋重層の大堂は「今日もまた 暮れぬと告ぐる鐘の音に おしえ妙なる 法の古寺」 と長浜八景のひとつに歌われる名刹でした。

みょうほっさん
文化五年(一八〇八)境内に常設の芝居小屋を認める等、長浜湖北の文化と関わりの深いお寺です。また明治三十九年から看護婦養成所悲田会を運営し、これが長浜看護学校の前身となりました。
例年十一月十二日十三日の日蓮聖人御命日の法要は、近在から宗派を越える参拝者でにぎわい、参道には夜店も並んで「みょうほっさんの御会式」として広く親しまれておりました。

火難と再建発願
 明治五年長浜大火に類焼して伽藍宝物類を焼失。大正七年再建にこぎつけたものの、昭和二十七年二月十六日(奇しくも日蓮聖人誕生の聖日)再度の火難にかかり、以後寺門衰退して参りました。

 しかし「難を転じて幸いとなす…」
長浜曳山祭り発祥・豊臣秀勝公にふさわしい新本堂。また人間と社会の安寧にたしかに役立つ現代仏教のお寺21世紀新本堂の建立を発願しました。広く江湖の皆様のご支援ご協力をお願い申し上げます。

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